【第二話】労働許可証の申請とブラック企業の悪夢

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スペインに残ることを決断しても、
簡単に住めるわけではない。

当然だがビザがいる。

ちょうどその頃、幸運にもスペインが外国人のために労働許可証を取得できる
キャンペーンを実施している最中だとコロンビア人のマルガが教えてくれた。

だが、許可証はスペイン全土でたった4,000人にしか与えられない。

しかも、きっとスペインのことだから
申し込み用紙を10000枚くらいしか用意してないんじゃないか?

と、みんな口々に言い始めた。

「申し込み用紙はいつから配ってるの?」

と聞いてみた、

すると、

「昨日からだ!」

とチリ人のハイメが言った。

『とにかく申し込み用紙を手に入れないと
労働許可証は取得できないわけだから、今から貰いに行け!』

と、みんな心配そうに言ってくれた。

「えっ、こんな夜まで労働省って開いてるの?」

と不思議な顔して聞くと、

「いや、朝の10時に開くが、それまで並んで待つんだよ!」

とマルガが言った。

マルガも労働許可証を取るために、
昨日の夜から並んで申し込み用紙をもらって来たらしい。

なにせ世界中からやってきた人達が労働許可証を
取得するために労働省に押し寄せるわけだ。

用紙なくなったらもう終わりだ。

時計を見ると21時半…

「よし、今から行くよ!」

と言って、マドリッドの地図を
握りしめながら労働省へと向かった。

途中にあった教会の時計を見るとちょうど22時。

だんだんと労働省が見えて来た。

「朝10時に開くまでの12時間ぐらいなら待てる。
この時間に着いたらきっとまだ誰もいないだろう…」

と足早に向かうと…

目の前には衝撃的な光景が広がっていました。

すでに5〜600人くらいの大行列…

ズラーっと最後尾がどこかわからないくらい。

しかも、日本人は見渡す限り自分だけ。

後は南米人とロシア人、ルーマニア人、アフリカ人。

なんとか最後尾を見つけ並んだが、
その後も続々と人がやって来て列が出来て行った。

1月のマドリッドって物凄く寒い。

そんな中、じっと我慢して待ってるわけたが、
流石に夜中の2時3時になると指先や顔がヒリヒリして来る。

どうやら他の人たちは車で来ているので、
仲間と交代しながら車中で休んでるようだった。

羨ましかったというよりは情けない感じかな。

並んでる人達はみんな必死の形相で、
ただ黙々と静かに開くのを待っていた。

この時、初めて自分は

「生きていく厳しさ」

を思い知ったのです。


そして、朝10時…

5人ずつまとまって中に入れられて行きました。

自分の順番が来た頃には、
昼の12時半をとっくに過ぎていた。

中に入って早口な説明を受け、
目当ての「申し込み用紙」がやっと手渡された。

ホッと一息つけた瞬間でした。

徹夜で、しかもずっと立ちっぱなしだったので、
動くと身体の何処かがギシギシする感触がしたが、

あ〜、これでなんとかなるな!

と思うと気分は爽快になった。

それにしても、こんな経験をするとは
昨日まではまさか夢にも思わなかった。

毎日、目まぐるしい日々を送ってることに
まだ頭はついて行っていないようだった。

その日は帰って爆睡した。

翌日、

同じく労働許可証を取得しようとしている
コロンビア人のマルガにいろいろわからないことを質問した。

何しろ早口すぎて全く内容が理解出来ていない。

その内容はこうだった…

まず、3ヶ月以内に働き口を見つける。

そしてその仕事の内容は、
「農業」と「職人」そして「家政婦」

仕事が見つかったら経営者の二人分のサインを用紙に書いてもらう。
(スペインは経営者が複数人いる)

それを労働省に提出して、
数ヶ月待って受かれば仮の労働許可書が発行される。

そして、仮の労働許可証を東京の大使館に持って行って
手続き完了したら本物の労働許可書が貰える。

その労働許可書を持って、
仕事を探して契約してもらう、という流れ。

「マルガは仕事見つかったの?」

と聞くと、

こう答えた…

「私は友達に歯医者さんと結婚した人がいるから
その人に家政婦としてサインくれるように頼んだよ。」

内心、羨ましいなぁと思った。

南米の人達は、昔、植民地だったので
かなりスペインから優遇される上に、

同郷のコミュニティーの結束が強く、
横のつながりが相当に広いのだ。

誰かがスペインで結婚すると、
そこに家族親戚がどんどん押し寄せてくるのを
何回も見たことがある。

話を戻そう、

マルガやハイメが言うには、
同じ国同士、日本人に職を尋ねたほうがいいと言う。

「あ、そうか、そういえば、
これまで一切の日本人に会ってなかったな…
考えたこともなかった。」

と言うと、

カモネが

「エチェガライ通りに日本レストランがあるよ」

と教えてくれた。

みんな本当によく知ってるな…
心から感謝した。

とりあえず、マドリッド中の日本レストランを
探し回って求人があるかどうかを聞いてみることにした。

当然、1日で見つかるワケはない。

店に行って尋ねても、
後で連絡すると言ったきり全く連絡がない。

そんなことが続いたある日、

電話が掛かってきた。

自分を雇ってくれる店があると言う。

嬉しくて飛び上がりそうになったが、
まだ決まったわけではない。

糠喜びにならないように
気合いを入れて店へ向かった。

こんな気分になったのは
もしかしたら初めてかも知れない。

仕事が決まるかどうか…
心の中が揺れ動いているのを感じた。

店に入ると、
中は外で見るよりもかなり広かった。

一通りの
・包丁が使えること、
・魚がさばけること、
・包丁が研げること、

を伝えると、
それだけで雇って貰える事が決まった。

但し、
申し込み用紙にサインするまでの期間は
試用期間で30000ペセタの給料という条件。
(1994年当時、スペインの最低賃金が80000ペセタ)

食事はなんでも食べていいという事で合意した、

30000ペセタでは正直なところ厳しいけど、
家賃の20000ペセタ払ってもとりあえず10000ペセタは残る。

食事も出るわけだから何とかなる。

と自分に言い聞かせて、
大事な申し込み用紙を店主に渡した。

「すぐに書くからね…」

と店主が言ったのを
この時は全く疑いもしなかった。

人に聞いたりして
紆余曲折しながらやっと見つけた職場だ。

早く帰ってみんなにこのことを
報告したくて仕方がなかった。

翌日、

時間通りに店に入ると、
自分用のハッピが用意されていた。

まずは洗い場からのスタートだ。

横には揚げ場があり、
悪そうなスペイン人のラファが天ぷらを揚げていた。

むかし、窃盗をして刑務所に入っていたらしい。

ラファはムスッとしながら、
一切こっちを見ずに黙々と天ぷらを揚げている。

「なんか働きづらそうな職場だな…」

大体ギクシャクしている職場は
どこもこんな感じの空気が流れている。

予想は当たっていた。

数時間経って、食事の時間がやってきた。

店主が、
これとこれでいいだろう?

と「白ごはん」と「塩っからい味噌汁」
を流しの上にドンっと置いた。

ん…?

「言ってたことと全然違うぞ…」

とはいえ、文句は言えない…
少なくともサインを貰うまでは。

食事はこれがずっと続いた。

しばらく通うと、今度は
店のカウンターの中に入って仕事することとなった。

そして、出し巻き玉子を作る
ように命じられた。

店主の作り方を覚えて、
その通りに丁寧に作ると満足そうな顔をした。

そのうち、しめ鯖を作ることも
命じられるようになった。

2,3日に一度、20匹ほどの鯖が
店にやってくる。

この鯖を捌いて塩をして、
あらかじめ作った酢に漬け込むのだ。

スペインのワインビネガーは強すぎるので
少し水を入れたほうがいいと教えられた。

寿司飯を作るときも同様に指示された。

仕事は順調に覚えていき、
かなりのことまで出来るようになった。

だが、申し込み用紙に未だサインは貰えていない。

そんなある日のこと、

流しの下に真っ赤になって錆びついた
一本の包丁が目に入った。

しかも2箇所も刃が欠けていた。

「この包丁は要らないんですか?」

と店主に聞くと、

「何だそれ?要らないよ。あげるよ。
欲しかったら持って行っていいよ。」

と珍しく気前のいい返事が帰ってきた。

(これを研いだら魚が捌けるな…
そしたら家のみんなに日本料理を作ってあげられるな…)

そう思った自分は、

「ここで研いでから持って帰ってもいいですか?」

と聞いた。

すると、

「ああ、いいけど、研いでも無理だよ」

その瞬間から時間が空いたら
せっせと研いだ。

一週間経過してもまだまだ包丁にすら見えない。

「おい、そんなに錆びてたら研ぐのは無理だぞ。
しかも刃が2箇所も1cm 程欠けてる…」

と言ってきた。

内心、そんなことを言ってないで
さっさとサインをしてくれよと思った。

それからも、時間を見つけては
ただひたすら研ぎ続けた。

気がつけば、包丁は銀色に輝いていた。

「結構、根性あるな。でも刃溢れしてるのを
研ぐのは無理だよ。」

とあくまで否定的な言葉を掛けてくる。

そんな言葉にうんざりしながらも
毎日毎日研ぎ続けた。

そして、1ヶ月後…

遂に包丁は蘇った。

真っ赤に錆びついていたあの包丁が、
銀色にピカピカ光り輝いている。

正直、刃毀れしている1箇所がなかなか
綺麗になるまでに時間が掛かった。

挫折しなくて良かったな…

よし、明日は家で魚を捌こう!

と布に包丁を包んでいると、

店主が言った、

「おい、その包丁はうちのもんだぞ!」

ん?

一瞬、耳を疑った。

「それは俺のもんだから、持って帰るのはダメだ!」

え?

「お前の勉強のために研かせてやっただけだ。
その包丁はここに置いとけ」

それまでも数え切れないほどの
嫌味を言われることがあったが…これは流石に考えさせられた。

この事件で、自分の中でひとつ決めたことがあった。

月一でやってくるもう一人のスペイン人経営者に
直接、サインのことを聞いてみるということ…

何としてでもサインを貰わないと…
スペインで生きて行くために。

だから、ずっと我慢してきたわけだから…ずっと黙って。

その後もサインしてくれそうな気配はない。

たまに訊くも「今やってるから!」
と取り合ってくれない。

ただ、それを信じるしかない。

そうこうしてるうちに、
期限の3ヶ月が経とうとしていた。

幾ら何でもそんなにかかるわけがない。

再度訊いてみたが返答は変わらない。

そんなことを繰り返しているうちに
だんだん怒りが込み上げて来た。

そんなある日、

遂にもう一人のスペイン人経営者が店にやって来たのだ。

今がチャンスだとばかりに、
詳しくこれまでの事情を説明しに行った。

すると

そんな話聞いていないぞ!
その申し込み用紙を見せろ!
すぐにサインを書いてやるから!

と慌てた口調で言った。

救われた…

と同時に、自分は騙されていたのをその時に知った。

今でいう完全な「ブラック企業」だ。

なかなか気が済むような問題ではないが時間がない、
その場から急いで労働省に書類を提出しに行った。

書類を提出している期間は
申請中の控えさえ持っていれば問題なく滞在できる。

この間に「新たな職場」を探すことも出来るのだが、
そんな考えは頭に過ぎりもしなかった。

まさかの日本人にされた仕打ちに
大きなショックを受け、最早、人間不信になっていた。

もう、人を頼ることはしない。

自分の力で行き抜く方法を探すことにした。

つづく

【第三話】異国の地…スペインで自力で生きる決断

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