【第一話】絶望の世界から…突然のスペインへの旅立ち

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子供の頃に、父親から言われた言葉の中に
ずっと忘れずに頭から離れない一言があって、

確か、8才頃のことだ。

ある日、父親から二階に呼ばれて
畳の上に座らされた。

一体、何が起こるんだろう?
と一瞬身構えたが、

言われた言葉は意外にも、

「おい、勉強は好きか?」

と言う一言だった。

いきなりそんな事を言われても、
どう答えていいか分からない。

というか、
何を求められているのかを探った。

その姿を見て父親は、

「本当のことを言ったらいい。
好きだったら好き、嫌いなら嫌いでいい。
怒らへんから答えろ…」

と言った。

そこまで言うのなら、
本当のことを言おうと、

「嫌いや!」

と答えた。

すると、父親は、

「そうか…じゃあ今日から勉強せんでいい。
嫌なことはやらんでいい。」

と言った。

この件で、未だに脳裏に焼き付いている。

なぜそんな事を言ったのか今ではよくわからないが、
これがうちの家の考え方だったんだろう。

そんな感じで、
幼少期から嫌なことはやらずに
好きなことばかりやって自由奔放に育っていた。

その頃の自分が特に好きだったのは釣りだった。

祖父が釣具屋をやってたり、
父親も釣りのクラブに入っていた影響で、

近所の池や川でよく釣りをしていた。

その後、友達からの誘いを受けて、
野球部に入ることになった。

そんなわけで、子供の頃は野球と釣りに明け暮れていたが、
実は、幼稚園の頃から絵を描くのが得意だった。

小学校高学年から、油画を始めた。

母親の知人が絵描きだったので、
勉強はしない自分を何かさせようと連れて行ったのである。

幼少の頃から夢ばかり語るのが好きだった自分は、
常に学校に対して絶望感を抱いていた。

その後、高校進学をするか、しないか迷った訳だが、

結局、親の勧めで地元の美術高校へ進学する事にした。

その頃の自分は、
美術は自由なものだと信じていた。

しかし美術高校に入学すると、
そこにあった世界は想像していた
ものとは大違いの窮屈な世界だった。

そのギャップに絶望する。

そんな中、夢と希望を求めて自転車で上京し、
上野の弁当屋でしばらくの間、働いた。
(夜24時〜朝9時までの深夜労働で7000円)

その後、パチスロで稼ぎながらの生活。
(アニマル専門で数軒出入り禁止に)

その後も、佐川急便や居酒屋店員やパチンコ屋店員、
植木職人を経験しながら、悶々とした日々を送る。

あ〜思い返すだけでもグッタリしてしまうような、
先がなにも見えない状態が続いていた生活。

そんなある日、

アパートの大家さんから退去通知が…

どうやら大家さんの奥さんが病気になってしまい、
これからひとりで面倒見て行くらしい…

銀行から今ならまだギリギリ借りられる年だという…

「だから、今しか建替えるチャンスがないんだ!」

と、いきなり言われた。

そんなこと急に言われても正直困ったが、
事情を聞いているうちになんだか可哀想になってしまった。

当時、法律のことなど全く知らない自分は
何の交渉もせずに出て行くことにした。

出て行くことは決めたが、引っ越し先はこれから決めなくてはならない。

そこで慌てて友人に引越し先の相談をしたところ、

意外な答えが返ってきた…

「スペインに行ったら???」

 

まさかの答えだった。

「えっ、スペイン?」

と思った。

思いますよね?

自分は思いました…流石に。

まさかでした。

そしてさらに

「物価が安いから3ヶ月で10万円もあれば余裕で暮らせるよ!」

と日本では考えられないことを言われ、

本当にそんな国があるんだ!?と心底衝撃を受けてしまった。

その後、30秒ほどの沈黙があり…

(とりあえず3ヶ月間行ってみて、
それから人生考えてみてもいいな…)

という考えが頭をよぎり、

(今の人生よりはどう考えても良くなるだろう!)

と、前向きに即決。

数日後には全財産かき集めて航空券を購入。

航空会社は「アエロフロート」スペイン往復62,000円でした。

さて、1ヶ月後の出発に向けて、
日雇いの仕事を毎日入れてなんとか15万円を捻出。

そして、ついにスペインへ出発!

この時、多少の不安や淋しさを感じてはいたけど、
「夢と希望を信じて行こう!」という気持ちの方が圧倒的に強かった。

途中、モスクワで16時間のトランジットがあり、
合計3回の食事が空港で支給された。

朝の3時から午後の7時までの16時間…。

「すごい時間やな…」

当時のモスクワの空港には小さな売店がひとつと
なぜか「富士」と書かれた看板が掛かってるこじんまりした食堂があるだけだった。

今のように、インターネットもない時代なので、
食事が支給される時間以外はベンチに座って寝てるしかない。

そんな中、いつまで経っても外が明るくならないのに気がついた。

「あれっ?いま何時なんだろう?」

壁に掛かってる時計に目をやった。

「11時か…。  えっ、11時?

間も無くお昼の時間じゃないか。

「これは一体どういうことなんだ!」

この時初めて、いま自分が日本から
遠く離れた国にいることを実感した。

12時前になってようやく光が射し込んできた。

闇の世界からパァーっと光り輝く太陽は今までのどれよりも美しかった。

そしてまた、14時過ぎには太陽は沈み、再び真っ暗な世界になった。

これは信じ難い光景だったが、
この環境の中でも生活している人達がいるのかと思うと
とてつもない地球の広さを思い知った。

そんな心境の中、無事マドリッドに到着した。

片言のスペイン語でも大丈夫なように、
あらかじめ教えてもらってた番号に電話してバスに乗りこんだ。

1時間ほどバスに揺られ、
マドリッドで最も犯罪が多い「コロン広場」で降りた。

周りを気にしながらバス停からメトロに乗り換え、
無事「Noviciado」という駅で降りた。

それにしても、
もらった地図が大雑把すぎてよくわからない。

夜も10時半を過ぎているので真っ暗だ。

街灯を頼りに「サンベルナルド通り」から
「ペス通り」に入った。

人通りが全くない。

日本と違って店もなく看板もないので、
当時のマドリッドは薄暗いオレンジ色の
街灯だけしかない。

しばらくさ迷っていたら人の声が聞こえた。

「あ、誰かいる…」

小走りに声のする方へ行ってみると、

おばさんが二人で歩いていた。

「すいません!あの〜」

スペイン語はさっぱり話せないので
持っていた地図を見せた。

「あ〜、このピソの2階よ!」

と言って、呼び鈴を鳴らしてくれた。

インターホンを通して、
住人の声が聞こえた瞬間…

ガチャ、

重厚な扉が開いた。

築150年以上は経ってる
如何にもヨーロッパの佇まいがする建物だ。

この日から、この共同アパートでの
初めての海外生活が始まった。
(後でわかったことだが、そこはマドリッドの中でも相当治安が悪い地区だった。)

中に居たのは、スペイン人、チリ人、コロンビア人、アンゴラ人、イタリア人など。

みんな興味を持って話しかけてきたが、
全く言葉が分からず、ただ笑ってるしかなかった。

翌朝、

朝7時に目が覚めたが、
外はまだ真っ暗だった。

「スペインは明けるのが遅いのかな?」

なんて窓を見ながら台所に行くと、

トニャという同い年くらいの女の子がいた。

トニャはまるで自分を
子供相手に話すかようにいろいろ教えてくれた。

まず家賃の金額。

家賃は20,000ペセタ(18,000円)。

(今のマドリッドはロンドンと同じくらいに
なってるらしいけど1994年はそんな相場だった。)

そして、夕飯はそれぞれが交代で作ること。

そのふたつが規則だった。

その後、マジョール広場やスペイン広場といった
有名な観光地や美味しいボカディージョの店にも
連れていってくれた。

見るもの全てが新鮮で、
日を追うごとに住んでいる実感が湧いてきた。

時には、ピソの住人みんなでレティーロ公園まで
家の中にある不用品を売りに行ったり、

夜はディスコに行って踊りまくったり、
フエルガに出掛けて朝まで飲んだり、

外で知り合った友達の家に
ワインを買いまくって遊びに行ったり、

日本では考えられなかったことが
来る日も来る日も繰り返された。

「スペイン人って、本当に陽気で、
次の日のことを全く考えずに遊ぶんだな…」

そんな夢のような日々が過ぎ去り…
気が付いたら1ヶ月が経とうとしていた。

そんなある日現実を知ることになります。

「あれっ?確か10万位あったはずだが、、、」

1ヶ月で全財産の15万円が底を尽きていました。

 

これはどう考えてもやばい。

日本に帰るしかないな。
明日にでも航空会社に連絡しないと…

と、慌てふためいていると…

アフリカから来ていたアンゴラ人のカモネが言いました。

「1億2千万人もいる日本へお前が帰ったところで何が変わるんだ?
喜ぶのは親兄弟と友達くらいなもんだろう?」

「そんな日本へ帰るよりここで人生を見つけろよ!
俺も人生を見つけにここへやって来たんだ!」

なんだか、ものすごい説得力を感じた瞬間だった。

「まぁ、カモネのいう通りだな…出来る限りスペインで頑張ってみよう!」

この決断が後の人生にどう影響するのか?

この時は全く知る由もなかった。

だが、そう決断すると、
周りの住人達が各々が知ってることを話してくれ、
みんなでいろんなアドバイスをしてくれ始めた。

つづく

【第二話】労働許可証の申請とブラック企業の悪夢

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