【第十一話】ひとつの生き方…魔法の力を持った民族

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スペインにやって来て、早くも3年の月日が流れていた。

最近では、朝起きてから昼過ぎまでが絵の制作、
そして、それ以降はギターを持って街に出る。

夜はソレアへ。

という生活循環が定着しつつあった。

そして、毎日の路上での演奏場所もほぼ決まっていた。

・月曜日コロン広場のセルカニアスの出口。
・火曜日はレティーロ公園入口のトンネル。
・水曜日は映画の封切りがあるのでビルバオ駅の周辺にある数軒の映画館周り。
・木曜日はスペイン銀行の地下道。
・金曜日はカジャオ駅前のグランビア通り
・土曜日はクワトロカミーノ駅近くのメルカド・マラビージャ。
・日曜日はエルコルテイングレスの前。

そんな風に路上演奏が当たり前になって行く中で、
近頃のストリートの状況は常に恐怖がつきまとうような状態だった。

年々増加する凶悪犯罪。

街で知り合ったスリの5人組が言うには、

「南米と北米の老夫婦と日本人は全員カモだ!」

と言っていたし、

そしてピソの住人、
アフリカのアンゴラ出身のカモネが言うには、

「最近のレティーロ公園とスペイン広場では日本人が通るだけで
強盗犯達が必死になって取り合ってるよ。俺が行く!いや、俺が行く!
って、それが原因で喧嘩になってるぐらいだよ。本当に気をつけた方がいいよ!」

と言っていた。

確かに、98年頃からスリや強盗を2日に一回は目にするようになった。

そんな感じで仲間からもそんな話をよく耳にするようになったし、
ラモンもうちのピソからエントレビアスに帰る途中が物騒になったと言っていた。

ただ、周りの路上で生きている人間達は
自分のことを知っているので奴らからは襲われることはなかった。

逆に、路上で弾いていると、
ちょっかい出してくるのはむしろ子供達の方だった。

ラバピエスやアントンマルティンに住む
子供達がたまにグランビア通りにやって来ては悪さをしにくるのだ。

その子供達は10人くらいで徒党を組んで獲物を探しながら歩いてくる。

10人の中には、アラブ人や中国人、スペイン人や黒人、東欧人…そしてジプシーがいた。

子供の頃は国籍など関係なく仲間になるのかどうかわからないが、
まず大人では考えられないような編成だった。

さて、どんな風にちょっかいを出してくるのかというと
そのうちの1人が自分が演奏している前に置いてあるギターケースを覗きにくる。

まずは、どれだけお金が入っているのか確かめに来るのだ。

それから、「プス~ッ」と口で合図を送って、
また1人がやって来てギターケースの中に入っている小銭が外に出るように思い切り蹴ってくる。

それを拾って逃げようとするのだ。

いままで3回、
そんな経験をしたことがあるがいずれも未遂に終わっている。

毎回、その中のジプシーの子供が、

「ギターを弾いてるんだからやめろ!」

それを制止するからである。

そして、制止された他の子供達はつまらなさそうに他に獲物を見つけに行きはじめるが、
ジプシーの子供はそのままギターの演奏をジッと見つめてくる。

ジプシーとはいろんなところで遭遇した。

スペイン銀行の地下道で演奏していたある日のこと。

ある3人組のジプシーが、かたまってやってきた。

3人とも長髪で1人は若干禿げていて、
1人は長身…そして、みんな小汚いジャージやトレーナーを身に付けていた。

そういえばこの2,3日の間、
この3人組のジプシーを街のあちこちで見かけていたが、
どこからどう見ても不審者っぽいので若干警戒していると、

「なぁ、フラメンコギター弾いて!」

と一番背の低い男が言ってきた。

「フラメンコのことはよく知らないけど、適当でもいいか?」

と言ったら、

「いいよ、なんか弾いて!歌うから…」

というので、ソレアで覚えた誰かのフレーズを弾いてみた。

 

真似事のソレア ポル ブレリアだ。

すると、3人は顔を見合わせて、

「オレー!」

と嬉しそうに叫びながら、、、歌い出した。

自分はほとんど伴奏を出来てないが、
彼らにとって歌うためのキッカケ作りはした。

そして、次々と代わる代わる歌い出した。

みんな満足そうだった。

いきなり3人の中で一番長身の男が言った。

「俺はトマティートが一番好きなんだ。あとビセンテ・アミーゴも好きだ!お前は誰が好きだ?」

もちろん、

「トマティートが一番やで!」

と言った。

ビセンテは意外だったが、
やはりジプシーだけあってトマティートは好きなんだと思った。

そんな感じにしばらく話していると、ふとあることが気になったので、

「最近、君たちをマドリードで見かけるようになったけど、どこから何しに来たの?」

と聞いてみた。

すると、

「3年くらい前にバダホスというとこから来たんだよ。特に何するわけでもなくね。」

と言って、ポケットの中から大事そうに少し折れ曲がった子供の写真を出して見せた。

(そこにはまだ10才くらいの可愛い金髪の男の子と女の子が写っていた。)

「いまいくつなん?」

と聞いてみると、

「16と14かな?」

と言った。

もう何年も会ってないらしい。

特に仕事をしているわけでも、
仕送りをしているわけでもないという。

(なんという生き方だ…)

ジプシーは、ある日突然家族にさえも何も言わずにいなくなったり、
蒸発したりすると聞いたことがあるが、この3人組も、もしかしたらそうなんかもと思った。

(一体どこに寝泊まりしてるんだろう…)

と不思議に思っていると、

「お前たち!なにしてる!」

と走りながら警察官がやってきた。

3人組は、

「なにもやってないよ!ただ、このチノとフラメンコで遊んでただけだよ!」

と口々に言った。

自分も、

「本当ですよ!」

と言ったが警察官は、

「嘘をつくな!どうせたかりに来てたんだろう?ここから立ち去れ!でないと逮捕するぞ!」

と凄んだので3人組はあえなく退散していった。

警察官は自分に、

「大丈夫か?何か物を取られたりしてないか?」

とまるで大仕事を終えたような顔つきで言ってきた。

せっかく楽しいひと時だったというのに、
全く空気が読めない警察官が少しトンチンカンに見えた。

 

こんな感じで毎日街でギターを弾いていると、
いろんなことに遭遇することがあった。

食べ物をくれる人やコーヒーを持ってきてくれる人、
家に招待してくれる人や服をくれる人…などなど

スペイン人はユーモアのセンスもあるので、
食べ物をくれるにしても何か面白いことをしてくる。

例えば、

パン屋の場合、

ギッシリとパンが詰まったリュックを担いできて、
路上で演奏している自分の前に立って

「ピッピー!ピッピー!俺は小鳥だよ!
今日は少しパンが売れ残ったんだけど、誰か食べてくれないかな?
どうせ食べてもらえるなら人間に食べて欲しいよ!
誰もいなかったら仕方ない、小鳥の餌になっちゃうよ~!」

と小鳥の格好を真似して言ったりしてきた。

余談だが、スペインでは例えお金がなくても
教会に行けばご飯が食べられたり、服をもらえたり、寝泊まりさえできることもある。

なんとか暮らしていけるのだ。

流石にキリスト教の国だけあって、人々は慈悲心に溢れている。

そんな慈悲心で近寄ってくる人が大半であったが、
ジプシーだけは興味があるから寄ってくる人達だった。

毎週土曜日の午前中に演奏しに行っていた
クワトロカミーノスという2番線の駅近くにある
メルカド・マラビージャ(素晴らしい市場)で演奏していた時も、
花売りの少年が仕事をサボってずっとギターを見つめて来た。

あまりに見つめてくるので、

「ギターが好きなんか?」

と訊くと、

「ギターもカンテも好きだよ!」

と言って寄って来た。

しばらく話をしていると、
元々両親はヘレスの出身らしくフラメンコ好きな家庭だと言った。

一族の中からは多くのアーティストを輩出しているらしく、
ペーニャやタブラオでも活躍していると言った。

そして親戚には、あのモライート・チーコがいるという。

「ギター弾かせてもらってもいい?」

と突然真顔で言ってきた。

「いいよ、是非、君のフラメンコの曲聴かせてよ。」

というと、少年は嬉しそうにギターを持った。

「もう、何ヶ月も弾いてないんだ…」

とポツリと言った。

(何故何ヶ月も弾いていないんだろう?)

と不思議に思い、

「なんで弾いてないの?」

と訊いてみた。

すると少年は、

「赤ちゃんが3人もいるから、毎日ミルク代を稼ぐのに必死だからね。」

とさりげなく言った。

(えっ、子供3人…?この歳で?)

こっちが驚いているのを少年は気づいていたはずだが、
そんなことは気にせずにブレリアを弾き始めた。

ギターを弾き始めると
少年は一瞬でこの場の世界を変えてしまった。

少年の中にあるリズムのウネリが時空を歪め、
気がついたらファンタジーの世界へと巻き込まれているのだ。

いつもながらジプシーの不思議な力には思わず感動する。

しばらくして一息ついた。

少年の年齢がどうしても気になるので、

「一体いま何才なの?」

と聞いてみた。

少年は再びギター弾きながら、

「17」

と答えた。

その時の自分は26才。

(少年の生きる世界ではそれが当たり前なんだろうな…)

今度は少年が、

「このメロディーは俺が考えたんだよ!」

と自慢げに話してきた。

独特で美しいメロディーだ。

 

今度は逆に少年が、

「なんか弾いてよ!」

と自分にギターを渡した。

最近覚えたいくつかのファルセータを弾いてみると、

「フラメンコ好きなんだね!」

と少年は嬉しそうに笑った。

その少年とはそれっきり会うことはなかったが、

生きている世界観、人生観、価値観

その全ての違いを深く感じた時間だった。

そして、その日も街で演奏が終わると、
いつも通りフラメンコを求めてソレアに向かった。

最近では、ドアの外まで賑やかな声がしていることが多い。

実は数ヶ月前から、
アルフォンソ以外にも「カイ」というブラジル人のギタリストが専属で働いていた。

部屋が2つになったからだ。

カイの弾く部屋は週末にはいつも無法地帯になる。

いろんな客から好きなように、
わがまま放題やりたい放題されても文句を言わないからだ。

入り口に入ってすぐ左にある部屋では
相変わらずアルフォンソが弾いていたが、

奥の部屋ではカイが弾いていた。

やはり、その夜も奥の部屋が賑やかだった。

だが、どこか普段とは違う雰囲気に感じる…

中を覗いてみると、
どこにギタリストがいるのかがわからないくらいに人がいる。

そんな中から、
いままでに聞いたことのない

立体的で音色の美しいパルマが聞こえてきた。

(えっ!すごいな…誰が叩いてるのだろう?)

まるで遠近感のある綺麗な音があちこちからこっちに向かって飛んでくるようだ。

コントラストがすごい。

誰が叩いているのか知りたくて、
思わず前にいる人達を掻き分けて何とか中に入った。

そこで目にした物は…

あっ、

パルマを叩いていたのは、

こないだの3人組のジプシー達だった。

3人は楽しそうにパルマだけで、
すごい世界を作り出していた。

ギターも歌もないのに…である。

周りはそれを見て興奮しながら掛け声をかけまくっている。

1人が叩く手拍子の中に、もう1人が裏拍で入って行って、
さらにもう1人がその裏に加わりバリエーションをどんどん変えて行った。

その光景はまるで、

魔法使いが何かをしているように思えた。

しばらくしてパルマが終わると、
3人組のうちの1人が皿を持って回り始めた。

当然、客達は大喜びで小銭を入れている。

その様子を見ながら残りの2人はニヤニヤしていた。

すると、3人組の1人が自分の存在に気がついた。

「オラ!お前、こないだ外でギター弾いてたよな!」

相変わらず、ボロボロのジャージだ。

「そうやで!まさかここに居るとは思わへんかったわ。」

と言うと男は、

「明日の朝、マドリッドを出るんだよ。」

とボソッと言った。

(また、どこかに流れて行くんだな…)

と彼らの習性を理解していた自分は、

「じゃあ次はどこに行くの?」

と男に訊ねると、

男は、

「わからない…」

とだけ答えた。

回ってきた皿がテーブルの上に「ドンッ!」と置かれた。

皿の上には山盛りの小銭がこぼれ落ちそうなぐらい乗っていた。

このお金は、彼らがほんの一瞬で稼いだお金だ。

自分から見ると、まるで「錬金術師」…

あっという間にお金を生み出す、まるで「打出の小槌」を持っているかのように見えた。

こうやって、彼らはお金を稼ぎながら各地を転々と回っていたのだ。

彼らは店の人に言って、
その小銭を札束に変えて無造作にポケットに突っ込んだ。

「じゃあ、またな!」

3人組のジプシー達は一気にウイスキーを飲み干し、
こちらを振り向くことなく颯爽と立ち去っていった。

これもまたひとつの生き方…

また何か自分の中で扉が開いた音がした。

 

そして、

 

彼らが居なくなると部屋の中は
先程までの賑やかで楽しい雰囲気はなくなり、

一気に静けさが戻ってきた。

あれだけ大勢いた客も少しずつ部屋から去っていき
気がつけば5,6人しかそこには残っていなかった。

ギタリストであるカイも何もすることがなくなったので
隣のアルフォンソが弾いている部屋を覗きに席を立った。

すると、

今まで気がつかなかったが、
カイが座っていた席の横には1人の日本人の男が座っていた。

その男はうつむき加減にこちらを見て、
ニヤッと笑って軽く会釈した。

つづく

【第十二話】スペインのクリスマス…そして、思いがけないハプニング

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