スペインとフラメンコの歴史【前編】日本との違い

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こんにちは、フラメンコギタリストの松村哲志です。

 

自分は2013年の7月から始まった、
FMおだわらのラジオ番組「フラメンコの風」のパーソナリティーを
やるようになってスペインの歴史を調べるようになったんだけど、

(現在は新番組「フラメンコロイド・ムーチョ」)

 

その歴史を調べていくうちに、
なぜスペイン人は自己主張をして、なぜ日本人はしないのか?

その理由が自分なりにわかった。

 

日本が異民族に支配されそうになったのはたったの4回しかない。

 

1度目は663年の白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に敗れ、
連合軍に侵略される危機に直面した。

天智天皇は危機に備えて、
近江大津京に遷都して西日本の各地に城を築いたが、
この時、朝鮮半島の支配を巡って唐と新羅が対立し侵略の危機を免れた。

 

2度目は1274年と1281年の元の来襲。

神風で有名なのは2回目、
1281年の本格的な侵攻時の暴風雨。

騎馬戦を得意としたモンゴル人は海戦には弱く、
フビライハンの野望は海の藻屑となった。

 

3度目は江戸時代の末期に欧米の植民地となる危機に直面。

ところが、イギリスやフランスは遠い東の果ての日本を
植民地化するよりは日本との通商に熱心だった。

お隣のアメリカは日米修好通商条約の締結に成功はしたが、
3年後に起きた南北戦争で日本どころではなくなったおかげで免れた。

 

4度目は第二次世界大戦敗戦後、
アメリカとソ連の冷戦が続いたことで日本は助かった。

 

結局、こんな感じで一度も異民族から侵略はされていない。

 

一方、スペインを見てみると異民族が侵略を繰り返してきた歴史だ。

 

どこの誰かもわからない民族が入り乱れているわけだから、
自分の考えをしっかり主張できないと生きてはいけない。

 

運命を自力で勝ち取って、自分たちの支配下に置こうとする民族と、
日本の歴史のように、なんとかなるでしょ?と、のほほんと運命を人に委ねる民族。

 

そんな甘えの民族から見たらスペインの歴史は複雑だ。

 

その中で、フラメンコも独自の発展を遂げてきた。

 

それでは、スペインの歴史を見て行こう。

 

フラメンコの歴史も浅いが、意外とスペインという国の歴史も浅い。

 

1447年にヒターノがスペインに入ってきたと言われているが、
実は8世紀にはイスラムの野営地の周りをヒターノ達がうろついていた記録があるという。

 

20年以上も昔にグラナダのサクロモンテの
洞窟に住むホセというヒターノが教えてくれた。

 

スペインは

ヨーロッパとアフリカ

の勢力争いの歴史である。

 

そもそも、スペインの中でも南部のアンダルシアは
地中海に面していて、アフリカ大陸も目と鼻の先。

 

そういう地形の位置関係もあって、
多様な勢力が入り乱れていた…という。

 

キリスト勢力であったり、
イスラム勢力であったり宗教的な変化がとにかく激しかった。

 

歴史だけ見るとめちゃくちゃ古くて、
あの有名な「アルタミラ洞窟の壁画」も実は北スペインにある。

 

昔、自分は壁画を一度見たくて、
スペインに住んでいた頃にわざわざマドリッドから行ったんだけど、
残念ながら一般公開をしていなかったので見ることが出来なかった。

入ると壁が崩れてくるほど、状態が悪いというのが理由…らしい。

 

そして、ヨーロッパ最古の都市が建設されたのもスペインだという。

 

紀元前12世紀にフェニキア人によって「カディス」が建設された。

 

このことをカディスの歌い手「ファン・ビジャールJr」に教えてもらったんだけど、

「お前!そんなことも知らないのか?
カディスはヨーロッパ最古の都市なんだぞ!」

と声を上げて語っていました。(^^;;

ま、それ以外にもカディスの歴史をいろいろ教えてもらいました。( ̄^ ̄)ゞ

 

で、続けると、

フェニキア人は征服まではしていないそうで、
逆にアルファベットや数字を教えたとされています。

 

そして、紀元前7世紀頃から
ヨーロッパ勢力とアフリカ勢力の領土の奪い合いがはじまるわけです。

 

まずはローマと北アフリカのカルタゴがイベリア半島を巡って争いはじめました。

 

紀元前200年頃に、ローマが勝利を収め、
イベリア半島はローマ帝国の支配下となり、「ヒスパニア州」と名付けられた。

いまのスペインの国名「エスパーニャ」の元となっている。

 

そして、

 

415年に、西ゴート王国の支配に変わる。

といっても同じヨーロッパ勢力…

西ゴート王国は南フランスを拠点にする国。

 

その後、

 

711年に、イスラム帝国のウマイヤ朝(ペルシャ)がイベリア半島を支配下に置く。

ウマイヤ朝はいまのシリアのダマスカスが拠点であったが、
最東端がインドで最西端がイベリア半島まで達する巨大な帝国だった。

ウマイヤ朝はイスラム国家の基盤を築いた国。

 

そして、この後、レコンキスタが本格化する11世紀頃まで、
約300年以上もの期間、イベリア半島はイスラム勢力に支配され続けることになるのです。

 

この時、ウマイヤ朝のイベリア半島の呼び名を「アル・アンダルース」と名付けられ、
その名残でスペイン南部のことを、「アンダルシア」と呼ぶようになった。

 

750年、巨大な帝国であったウマイヤ朝が
別のイスラム帝国の「アッバーズ朝」に滅ぼされることになる。

 

アッバーズ朝の残党狩りは執拗を極めていたらしく、
たった一人だけ生き残ったシリアの総督ムアーウィアの後裔、
アブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に逃げ込んでくる。

 

そして、イベリア半島の中にイスラム帝国、後ウマイヤ朝を建設。

 

首都はコルドバ

 

あのメスキータがあったり、
世界的フラメンコギタリストのビセンテ・アミーゴで有名な土地である。

 

11世紀初頭、カスティージャ王国やアラゴン王国が誕生し、
カトリック勢力に圧迫されレコンキスタの末、後ウマイヤ朝が滅亡する。

 

後ウマイヤ朝は滅亡するものの、
イベリア半島の中ではイスラムの小さな小国(タイファ諸王国)が乱立しはじめる。

と同時に、カトリックの王国も誕生。

 

イスラムやカトリックの小国が
乱立しながら入り乱れる長い時代が15世紀まで続く。

 

アフリカ大陸のムラービト朝がイベリア半島のイスラム小国を
支援することもあったが、徐々に勢力はカトリックへと流れていく。

 

カトリック勢力にとってイスラム勢力との戦いは
自分たちの土地を取り戻すという意味がある。

なので、この戦いのことを

「レコンキスタ」(再征服運動)

と呼ぶわけです。

 

1479年にカスティージャ王国とアラゴン王国が合併し、統一スペイン王国が誕生。

 

1492年に最後のイスラム王国であった「グラナダ」を滅亡させて、
これによってレコンキスタを完遂させる。

 

グラナダといえば、

あの有名なアルハンブラ宮殿がある所。

 

この後、

スペインはカトリック勢力に支配されることになり、
カスティージャ国王とアラゴン国王はローマ教皇から
カトリック両王の称号を与えられることになる。

 

そして、現在のスペインが出来上がった。

 

その両王に支援されたコロンブスが1492年にアメリカの新大陸を発見。

 

世界は大航海時代に突入し、
スペインは「太陽の沈まぬ国」といわれるほど繁栄を遂げることとなった。

 

その後、一時的に覇権国となったスペイン(実際は違う)だが、
カスティージャ王国は宗教と民族の純潔を守るために少数民族を弾圧しはじめた。

 

イスラム人、ユダヤ人、ヒターノ達が標的となる。

 

キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人やイスラム教徒は追放され、
ヒターノ達へも定住して定職につかないと追放を言い渡された。

 

鎖につながれガレー船へ載せられ中南米へ連れて行かれたり、
自分たちの言葉さえも話すことを禁じられたり、
放浪生活やそういった群れの中にいるという理由だけで
死刑という恐怖にさらされながら生き続けることになる。

 

その弾圧によって、

技術のある人達や商人などの才能ある人達を
どんどん排除したため労働力が大幅に低下し、
逆にスペインはどんどん衰えていくことになる。

 

弾圧された異なる社会の人達(イスラム教徒、ユダヤ人、ヒターノ)が、
憎むべきカスティージャ王国に対して結託することとなりコミュニティーが出来上がっていった。

 

これらの反逆者達は山あいの荒廃した山岳地帯に住むようになる。

 

その後、キリスト教の反逆者達も仲間入りし、
たくさんのコミュニティーを作り上げ、
キリスト教徒の町を襲っては食糧を略奪し始めた。

 

このコミュニティーの中には、

イスラム、ユダヤ、キリスト、インド、
アラブの音楽が混じり合っていたという。

 

違った文化を持ち、
それぞれ異なった社会の人々の共通のコミュニケーション手段として、
ここからフラメンコの原型が作られた。

 

時代は16世紀である。

 

そんな逆境の中でもフラメンコは、
少数民族のコミュニティーをなんとか守り続けて、
何世紀もの間、ずっと閉じられた環境の中で、
じわじわとゆっくり発展を遂げてきた。

 

カンテの歌詞にはこういった迫害の歴史が刻まれている。

 

そして、やがてフラメンコも全盛を極める時代がやってくる。

 

19世紀後半に全盛を極めたカフェ・カンタンテの時代だ。

 

この時代に特に活躍した歌い手は

「アントニオ・チャコン」「マヌエル・トーレ」

達だが、生活は貧しかったという。

 

その後、20世紀前半にはフラメンコはどんどん衰退していき全滅の危機に瀕することになる。

 

つづく

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