夜話会で感じたフラメンコの未来とは?

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こんにちは、フラメンコギタリストの松村哲志です。

 

今日は朝から家の中でまったりしています。( ̄∀ ̄)キラッ

 

さて、今回は中野で催された第2回目夜話会の話。

 

この夜話会というのは、俵英三さんがホスト役でゲストを迎えるという企画で、
そこに自分がゲストで出演させていただいた、ということです。

 

前回同様に多数の方に来ていただきました。(^_−)−☆

 

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

(写真は青森県の八戸港)

 

俵さんとは、昔はしょっちゅう朝まで家で飲み明かしていたので、
夜話会とはいっても普段通りの和やかな雰囲気でいつも楽しいです。

 

いつしか、まるで家の中で話してるかのような状態になってしまい、
ついつい話過ぎてしまう…( ゚д゚)

 

まぁ、二人とも関西人なので波長が合うのでしょう。

 

で、驚いたことに、

 

何と第1回に引き続いて2回連続で来てくれた仲間達がいること。

 

おまけに第3回も楽しみにしてる!
と言って喜んで帰っていった人もいます。

 

いや〜、凄いわ。

 

きっとそういう人って…

 

相当、優秀な人…か変態か…(笑)

 

当然、優秀な人達です。( ̄^ ̄)ゞ

 

 

 

 

 

(写真は静岡県南伊豆町)

 

来てくれるからそう言ってるんじゃなくて、
そういう感覚を持ってること自体が素晴らしい。

 

一見、自分のやりたいこととほど遠いように見えるものに対して
時間と対価を払ってくるって普通じゃなかなか出来ないことです。

 

確実に上手くなる人は

「何からでも学べる人」

 

逆に伸び悩んでる人は

「学ぶことを自分で決めてる人」

 

本人は効率よくやってるようで、
結局はその人の範囲から抜け出れない。:;(∩´﹏`∩);:

 

 

 

 

 

 

さて、今回の夜話会の話なんだけど、

 

実を言うと
自分が話そうと思ってたことがほぼ話せてない。(゚o゚;;

 

と言うのも、
キリコさんから当日に話して欲しいことが送られて来て、
一応、全てまとめておいたんだけど、実際に話せたのは多分、15分の1くらい。

 

これ、大袈裟じゃないですよ。♪( ´▽`)

 

それくらい、まとめると話すことが膨大にあり過ぎました。

 

う〜ん、話って尽きません。

 

ということは、
普段クラスで習う1時間って非常に内容が薄いってことです。

 

もちろん全く薄くするつもりは無いんですが…(-。-;

最近、クラスに入ってきた人が、

「この夜話会に来て、クラスで言われてることが凄くクリアにわかりました」

と言ってた。

 

これはひとつの答えだ。

 

何気ない一言だけど、、、

本人に全く自覚が無いところにいろんなヒントが潜んでいますw

 

さて、自分の考える未来のフラメンコのクラスは、
夜話会のようなものを交えるのが主流になるな〜ということ。

 

どういうことかというと、

 

いまの時代、情報が氾濫し過ぎて、
実践出来る数より、受け取る数の方が圧倒的に多くなってる。

 

youtubeやvimeoを見ても多分、
一生掛けても到底見れないくらいの動画数がUPされ続けている。

 

ほんの少し前はビデオかDVDでしか見れなかった貴重な映像が…です。

 

これって考えられなかった事ですよね?

 

昔は、ビデオかDVD、あるいはライブかクラス
で受けるレッスンからしか情報が得られなかったのに、、、

 

今はインターネットを開ければ
答えがゴロゴロとそこら中に転がってる状態。

 

(だからって、今も昔も簡単に出来るわけじゃないけどね…)

 

答えがゴロゴロ転がっているといことは、
一つの事に対して様々な見え方が伝わってくるという事だ。

 

要するに、答えを求めている人自身が自分の考えがハッキリしてないと、
答えが多過ぎて向かう方向が不透明まっしぐらな状態になってしまうということ。

 

さて、ここで矛盾を感じるわけなんだけど…

 

情報がどんどん流れ込んで、それなりに答えがわかる…
ということはあるんだけれど、なぜか心の中はずっとモヤっとしてる。

 

ん、何故なんだ〜?

 

まぁ、その答えは、
情報を自分でうまくまとめることが出来ないから…ということ。

 

それは、自分の好みでまとめていくという意味ではなく…
どのフラメンコの属性にも行き来しながらまとめられる…ということ。

 

まとめるってことは構成をするわけだから、
自分の視点をしっかり持っていないと出来ない。

 

例えば他ではもの凄く活躍しているのに、
フラメンコになるとうまくまとめられない人もいる。

 

それは、フラメンコの本質って
絶対にスペイン人にしかないと信じているから…なんだろう。

 

もちろん、スペインのアンダルシア地方の伝統芸能なので、
それは当然で、もちろん当たり前のことなんだけど、

 

一番頼りになる自分の中で起こっている感覚までもを、
人に委ねるようになったら本質どころかそこには何も残らない。

 

だけど、

 

いつの間にやら多くの人は「伝統芸能」、「民族音楽」という
受け継がれてきた、そこに自分の価値や本質までを見出してしまっている。

 

ならば、

 

そんな民族音楽をなんのためにやってるの?

 

と聞きたくなる。

 

最初は、フラメンコを見て一体何をしているのか?
さっぱりわからなかったけど心揺さぶられて感動したから始めた。

こんな人が半分以上はいるんじゃないかと思う。

 

あるいは映画で見て…とか、
友達のライブを見て…とか。

 

で、気軽に始めたのはいいが、
やればやるほどわけがわかんなくなってくる…

こんな人も半分以上はいるだろう。

 

 

 

 

 

(写真は富山県魚津市)

 

言葉がわからないだとか、リズム感がないだとか…

全てそんなことは後で気がついてくる。

 

そして、そこから闇の世界へと突入するのだ。

 

どうしたらいいかわからない状態…

 

だったら

 

必要最低限のルールを覚えたらいいんじゃないか?

 

と、  簡単に思うんだけど、

 

いや!そんな容易くは行かない。

 

何しろ、何世代も掛けて育ててきた芸能芸能である。

 

そんなニッチなルールを、
全く環境が整っていない日本の中で覚えるのは至難の技だ。

 

あ、ルールというのはフラメンコ特有のコンパスのこと。

 

ちょっと話は逸れてしまうが、
遊びでもなんでも、そもそもルールって、
面白みや楽しさがはっきりしてるから覚えられるもんですよね?

 

それがはっきりしてないのに
ルールばかり頑張って覚えていっても一体何のためにやってんだか…_| ̄|○

 

だからそんな理不尽なこと…一生掛けても出来ないわけです。

 

また、フラメンコの本質がいくらスペインにあるからと言って、
それを追求しすぎるあまり気がついたら影ばっかり追いかけてしまってる。

 

影を追いかけるということは、
フラメンコのただの劣化版にしか過ぎない。

 

そして気がついたら、初めて見た時に感じていたトキメキを忘れ、
ただ難しいことを、あてもないまま苦しさの中で戦っている。

 

こういうことが原因でみんなどこかモヤっとしてるのだと、
最近、クラスをやってると気がつくことが多い。

 

 

 

 

 

(写真は長崎県長崎市)

 

これは日本全国の各地で、
ワークショップを開催していつも感じること。

 

みんな必死で答えを求めてるし、
みんな必死で出口を探している。

 

受け取る情報がどんどん増えてくるということは、
踊りの振り付けその物の価値自体も低下していくし、

 

ライブの数が増えれば増えるほどライブの価値も低下する。

(振り付けにもともと経済価値はなかったとあるスペインの巨匠が言ってたし、
そもそも踊りを教えるという概念がスペインにはなかった。)

 

ということは昔のように、
振り付けを先生のように踊りたいという願望は薄くなっている。

 

そこが、もはや魅力でも何でもなくなってる。

 

なぜ、踊りたくなったのか?
なぜ、踊りたいのか?

という自分自身の本質に直結するような
何かがハッキリしないとみんな満たされない状態なのだ。

 

というわけで、

 

これからの未来はクラス全体で、
何かひとつに向かって目指していく方向になっていくだろう。

 

そして、その内容をどんどんわかりやすく明快にして行く必要がある…

ということ。

 

そのひとつが夜話会のようなものになる。

 

それともうひとつは、

自分ひとりだけでクラスを成立させて行くのはこれからは難しい…ということ。

 

もちろん、踊りは歌とギターが必要だが、
そんな昔から変わらないことを言ってるのではない。

 

だからと言って、
スペイン人をガンガン呼ぶとかでは無いんだけど。(//∇//)

 

どっちにしても大切なのは、
内容も向かって行く先も全てクリアな道筋を作るということ。

 

クラスをユニークによりクリアにして行く方法として、
自分が思うには先生がフラメンコをいろんな角度から見れるようになる。

 

ということ…だと思う。

 

いろんな角度から見ることによって、
よりフラメンコが鮮明に解像度の高い世界に見えてくるからだ。

 

スペイン人のフラメンコを追い求め、

「それが自分の世界だ!」

といっても結局は劣化版にしかならないのを自分は経験している。(T ^ T)

 

 

 

 

 

 

基本的に生徒というのは「受け身」なわけだから、

 

生徒にとってのフラメンコというのは、
常に先生が見ているひとつの視点でしかない「フラメンコ」になるわけだ。

 

しかし、先生自体の方向がハッキリしていなかったらどうなるんだろう?

 

それもまた、
現在の行き詰まってる原因ではないのかな?

と思う。

 

習う側が、先生を見て、

「すごい!かっこいい!」

と思うこと自体しばらくの間は続いて行くかもしれない。

 

だけど、先生を神格化する時代はもう来ない。

 

SNSのおかげで神格化はほぼ不可能となった。

 

神が温泉に入って、
御馳走の写真を投稿するはずがない…(O_O)

 

こんなに情報が溢れているということは、
フラメンコ以外の情報も流れ込んでくるわけで、
競う相手はもはやフラメンコの中だけではなくなっている。

 

発信する側が、フラメンコを通じてどうなっていきたいのか?

 

その人、独自の視点で見たフラメンコを、
どんな風に自分の人生に融合させて価値あるものにするか?

 

フラメンコロイドの名前の原点ですね。(°▽°)

 

ま、なんにせよ、楽しくないと面白くないですね。

 

楽しいと夢中になれる。

夢中になっている状態って自然体。

 

なので、発信する側が独自でユニークな

「楽しさ」

を自分の言葉で伝えていくということ。

 

自分の言葉で伝えるとハッキリと受ける側も理解するから
意見をもらいながら、互いに成長して行ける関係が新しい世界になっていくはずだ。

 

フラメンコ=情熱的

フラメンコ=薔薇を咥えてオレー!

 

これは同義語である。

 

これからも、この言葉から来る人はいるだろう。

 

だけど、そういう人たちがいくら増えても出口はない。

 

あ、これ全部自分に向けて言ってるね…(^_^;)

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1 個のコメント

  • 私は5年間ですが、フラメンコを習っていました。
    映画でスペイン人男性の踊りを見て、落雷をあたる程感激したからです。
    踊り手の自身の真髄が溢れ出ている事に心打たれたのです。
    習い始めて、ただがむしゃらにフラメンコが上手に踊れるように頑張りました。
    しかし、時が経つにつれ、掛け声やそれを言うタイミング等、決められた事が多いと気付きました。
    もっと自由に音楽や人と交われる踊りだと思っていたので残念でした。
    私はダンスが大好きです。
    上手く踊れなくても自分が感じるままに音楽と交わり表現したいのです。
    そんなダンスを死ぬまで踊れたら心底嬉しいのですが…

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