【第八話】路上演奏の極意と危険な地区での体験

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また新たな衝撃を受け、
新しい扉が開いた1日だった。

あの日からすっかりルンバの魅力にハマり、
あの独特にうねるリズムが頭にずっとこびりついたままだった。

そしてあの日がキッカケで願い通り
ラモンとは友人関係を築いて行っていた。

最近では、しょっちゅう、うちのピソにやってきては、
一緒にフィエスタをしたり遊びにいったりと住人達ともどんどん仲良くなっていった。

その後、ラモンもギターを手に入れて、
一緒に弾きに行くこともあった。

ラモンとの思い出で、
いくつかの忘れられない場面が残っている。

そのどれもが当時の自分にとっては新鮮で、
いろんな意味で生きていくための知恵を授かった。

そんな1つを語っていこう。

ある日のこと、

ラモンは日曜日の朝のレティーロ公園は人の集まりがいい!
と言うので、2人でギターを抱えて行った。

 

到着すると、すでに他のミュージシャンが
一番いい場所で演奏を始めていた。

ラモンは

「全然大丈夫だよ。他にも人が通る道はあるから。」

と全く気にせずに、少し外れた所に演奏する場所を見つけた。

周りを見ても、たまに人が通る程度で、
本当にここで大丈夫なのか?と心配になるくらいだったが、

自分よりも経験のあるラモンのいう通りに
用意をした。

いつも2人でセッションしていた
パコの名曲『二筋の川』を弾き始めた。

この曲なら弾いているだけで楽しい。

2人で盛り上がりながら弾いていると、
ギターを弾いてそうな男の子が寄ってきた。

ちょっと、男の子が気になったが、
ラモンはそれを敏感に気付き、

ウインクしながら、
弾くことに専念しろ!と合図してきた。

そして、しばらく弾いていると、
今度は通りがかりの人がそれに気がつき徐々に人が集まってきた。

自分は興奮を抑えられず、
今度はラモンにウインクをして
横から終わったらすぐに帽子を持って回ろうか?

と合図した。

するとラモンは、

「いや、まだだ。待て!」

と合図し返してきた。

言われている意味がよくわからなかった自分は、

「なぜ?」

と小声で聞き返した。

するとラモンは

「もう少し人だかりを作ってからだ。」

と小声で言った。

すでに周りには50人は余裕でいた。

「この曲が終わったら、もう一曲続けて演奏するぞ!」

とラモンが言った。

(なぜだ?なぜもう一曲なんだ?人がいなくなったらどうすんのかな?)

と、内心意味がわからなかったが、
とりあえず、ラモンに従ってみようと続けて演奏した。

2曲目が中盤に差し掛かった頃、

ひとりの女の子が駆け寄って100ペセタを入れてくれた。

「グラシアス」

と女の子がこっちに向かってニッコリ言った。

ん?

それはこっちが言うことでは…と思ったが、
続いて、また別の女の子がお金を入れに来てくれた。

それを見た人がまた…と連鎖反応が起こリ始めた。

その瞬間、

「いまだ!今帽子を持って回れ!
ギターは俺に任せておけ!」

とラモンが強く言った。

言われた通り自分はギターを置いて、
用意していた帽子を持って周った。

すると、殆どの人がわざわざ帽子の方まで集まって来てくれて
「グラシアス」といいながら入れてくれたのだ。

しかも、みんな満面の笑顔だ。

こんな清々しい体験は生まれて初めてだった。

後でラモンはこの出来事についてこう言った。

「最初は人が集まってもほうって置くんだよ。
そのうち人が人を集めてくれるようになるから。
もっと大勢になるまで真剣に演奏するんだよ。」

(確かにそうだな…)

ラモンは続けた

「ずっと続けて演奏してると、
そのうち誰かが堪らなくなってお金を入れに来る。
何故入れてくれるかわかるか?
それは熱のこもった演奏に感謝するからなんだよ。
そうなってから帽子を持って周るとみんな笑顔で入れてくれるんだよ。」

と教えてくれた。

驚いた自分は、

「えっ、そんなこと考えてたの?」

と言うと、

「当たり前だろ!なんでもタイミングが大切なんだよ。
タイミングがズレると全てが台無しになるからな。」

と言った。

(確かにタイミングは大事だ…それにしてもあの瞬間にそんなことを考えていたんだな。)

その考え方と今日起こった事を思い出し再び感動した。

この考え方は、
後々いろんな場面で役に立つようになった。

もうひとつ、強烈なラモンとの思い出がある。

ある日、ラモンは自分の両親に紹介したいと言って来た。

もちろん、こちらとしても是非会ってみたい。

ということで、ラモンの住む、

「エントレビアス」

にまで行くことになった。

言ったはいいが、ラモンはずっと心配していた。

一体何を心配していたかと言うと、
ラモンの家まで何も問題が起きずに無事到着できるか…を気にしていたのだ。

前にも言ったとおり、
エントレビアスは超危険な地区。

しかも、近くまで行く地下鉄の駅も危険な地区が目白押しだった。

「メンデスアルバロ」

「プエンテ・デ・バジェカス」

気が抜けない地区で降りて、そこからさらにバスで行く。

ラモンは家の近所のバス停で12:30に待っていると言った。

そんな物騒なことを聞くと、
少し不安になってくる。

緊張の中、「カジャオ」から地下鉄に乗って
当時の1番線の終着駅「プエンテ・デ・バジェカス」へと向かった。

出発したのがまだ午前中だったので、
人も多かったが、だんだん終着駅に向かうに連れ人は少なくなっていった。

あまり、人と目を合わせないように乗っていたからか、
とりあえず終着駅までは何もなかった。

バスの乗り換えもスムーズに行って一安心。

さらにマドリッド郊外へと向かった。

日本とは違って、街から外れると、
家が一軒もない風景が一気に広がる。

しばらく行くとバラックの部落が見えてきた。

初めて見る風景だ。

風が吹けば吹き飛んで行きそうなトタン屋根…

それを防ぐために上には石が乗っていた。

(ここに人が住んでいるんだろうか…)

内心思いながら、
バラック小屋の中から住人が出てこないか見ていた。

徐々にバスのスピードがゆっくりになった…

(あ、停車するんだな…)

そして、バスが停車した。

ボォ〜と小屋を見続けていると、
中からお母さんと子供が桶を持って出てきた。

お母さんの背中には赤ちゃんが乗っている。

乱れた髪の親子は褐色で、
何やら険しい顔をしながら親子で話していた。

(ラモンが言っていた生活ってこんな感じだったのかな?)

気がつけば、すでに目的地に到着しようとしていた。

バスの中から、ラモンの姿が見えた。

「オラ!」

声は小さかったが、ラモンはいつも以上に嬉しそうな顔で迎えてくれた。

そのバス停から更に15分くらい歩くといった。

ラモンに続いて歩いて行くと、
さきほどのバラックの集落が周りにもチラホラ見え始めた。

「昔はこんな感じで生活してたんだろ?」

とラモンに訊くと、

「そうだよ。いや…もっと酷かったかもな。」

といった。

(これよりも酷い?すきま風が入ってくるのがよくわかるな。)

また、しばらく歩いていると、今度は丘が見えてきた。

「あそこに丘があるだろ?あの上にテントが張られると、それが合図なんだ。
みんな麻薬中毒者は強盗した金銀を持っていって薬やお金に交換するんだよ。」

とラモンが言った。

「あんな目立つ所で?大丈夫なの?警察は…」

と言うと、

「パトカーが見えたら、すぐに片付けて、みんなパーッと居なくなるよ。」

と言って笑った。

すると、

綺麗な団地がいくつも見えてきた。

外から見てると、まだ新しく綺麗な外観だが、
窓には直径2センチくらいありそうな頑丈な鉄格子が取り付けられていた。

(こんな綺麗な所に住んでるんだ…)

確か貧乏な家族だといってたはずなのに、
何故だろうと不思議に思った。

「ここに住むのって結構高そうに見えるけど、お金はどうやって捻出したの?」

するとラモンは、

「この建物は国が建てたもので、
バラックに住んでいた人間をここに住まわせたんだよ。」

(あ、そうなんだ…)

「だから、殆どタダなんだよ。200ペセタで住まわせてくれた。」

(えっ、200ペセタ?)

驚きを隠せない自分の顔を見てラモンは大笑いした。

家に到着すると、ラモンの両親は歓待してくれた。

テーブルにはスペイン料理がズラリと並んでいた。

お母さんは朝からずっと台所で料理を作ってくれていたようだった。

両親はどちらもが小柄だった。

昔は食べるものがなくて、
大きくなれなかったと冗談交じりに話してくれた。

そして両親は何度も何度も、

「ラモンが初めてまともな人をうちに連れて来てくれた!」

と言って涙ぐんでいた。

東洋人に対してこんな対応は滅多にない、
と言うかこんなことは言われたことはない。

しばらく両親の人生の話やラモンの子供の頃の話をしたが、
その中でも、一番ショッキングだったのは弟の話だった。

麻薬中毒者になって、

「その部屋の中でも、いつも鍵をかけて中でやってた。」

といった。

亡くなったのも、
その部屋の中だったそうだ。

お母さんは、
弟がうちの家族の中で、唯一背が高かった。

と自慢げに言っていた。

両親はエストレマドゥーラの大洪水で
命からがらここに逃げて来たことを熱く話してくれた。

マドリッドに逃げてきた時の酷い状態だった事…

まるで生き地獄だったようだ。

(内容はこのブログでは書けないような事も多くあり、
またラモンから聞いた話も、全体の10分の1も話せないくらいだ。)

スペインにやって来ていろんなことがあったが、
もし、路上でギターを弾いてなかったら

ラモンとは出会わなかったし、ここにも絶対に来なかった。

その国の見えない部分が一気に見えた気がした。

そんなことを考えると本当に知れて良かったとも思った。

ラモンが暗くなる前に帰った方がいいと言って
いきなり用意をし始めた。

両親に挨拶をして、
2人でバス停に向かった。

自分はすっかり危険な地区にいる事を忘れながら
バス停へと向かっていた。

周りを気にせずに話しながら歩いていると
あっという間にバス停に到着した。

バス停の前にはバルがあったので、

自分からラモンに

「今日はありがとう!一杯ご馳走するからここに行こう。」

と言った。

ラモンは一瞬固まったが、

「まぁいいか、ちょっとだけ行こう…」

と浮かない顔をしながらも入った。

扉を開けると、
中には7,8人の褐色の人達が奥のテーブルにたむろしていた。

そこの匂いで危険なのは一発で分かったが、
奴らと目があったのでゆっくりと入った。

ラモンとカウンターに並んで、
ビールを注文するとその7,8人に周りを囲まれた。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが
いつもに増してラモンが険しい顔をしながら奴らと話していた。

お互いが、お互いに牽制しながら
いままでに聞いたことがないくらいの敬語で話し合っている。

なんかおかしいぞ…とは思ったが、

ラモンはそいつらから一切目をそらさずに、
自分から遠ざけようと少し移動し始めた。

すごい緊迫感が漂う店内。

向こうも全く引き下がろうとはしない。

注文したビールはとっくに泡が消えて無くなっていた。

そいつらの中の何人かは徐々に元のテーブルに戻り始めたが、
リーダーらしき男は相変わらず敬語でラモンと話し続けている。

(この緊張の状態が一体いつまで続くんだ…)

と思ったその瞬間、

ラモンが

「バモ!行くぞ」

と小声で言って自分の腕を引っ張った。

バスが到着してたのである。

そこからは何も覚えていない。

ただ、思いっきり走って必死に飛び乗ったのは覚えている。

その状況をバスの運転手はとっさに察知してバスの扉を閉めた。

男は追いかけてきたが中までは入れなかった。

バスの中で、ラモンははぁはぁ言いながら

「ヤバかったな!マジで…」

といいながら微笑んだ。

自分にとっては限界に近いくらいの緊張感たっぷりの状況だったが、
流石に壮絶な人生を送ってきたラモンはまだまだ余裕があるように見えた。

息が整ってきたらラモンは話し始めた。

「あいつらは俺がお前をカモにしてると思って、まず近寄ってきたんだ。
いや、そうじゃなくて友達だ…と答えても俺たちも仲間に入れてくれ、
一緒にこいつをカモにしようと話ししてたんだよ。」

と説明してくれた。

(マジか…あいつら…)

と思いつつも恐ろしくて凍りついた。

ラモンが言った、

「なぁ、だから言っただろ。ここは本当に危ないんだ。
もし、何かあったとしても誰もなにもしてくれない。殺されてもわからないよ。」

(本当にそうだ…ラモンのおかげだ。)

と感謝した。

ラモンは続けて、

「俺は昔、ここから抜け出したかった。
だから音楽で成功したかったんだ。
ここ出身で音楽的に成功してる者は、みんな中心地に抜け出て行ったよ。
ここから抜け出れないと一生負のスパイラルの中で終えることになる。」

と言った。

衝撃だったが、言ってる意味がよくわかった。

確かに、山で遭難しても日本のようにテレビで全く騒がないし、
車に跳ねられて死んでも保険金が100万も降りるかどうかという国だ。

死んだらそれで終わり。

日本でもそれは一緒だが、

それとはやはり意味が違う。

「自分の身は自分で守る」ということをこの件で身をもって体験した。

明日からの路上ライブの考え方が変わった瞬間だった。

つづく

【第九話】スペインの路上にある世界…そして歓喜の大逆転物語

松村哲志の初のソロアルバム『I’M MELONCITO』はこちらから!

松村哲志の初ソロアルバムはこちらからどうぞ!

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