【第三話】異国の地…スペインで自力で生きる決断

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自力で生きる決断!

元々、自分は絵を描いていたし、日本にいる時は植木屋で働いたり、
多少のエクステリアの知識もあったので、その路線で仕事を探すことにした。

ピソへ帰るといつものように住人は
ワインを飲みながら熱い討論をしていた。

そんな中、まるで割り込むような感じで
レストランの仕事で起こった一連の騒ぎを話した。

するとみんな一声に

「それはやめてよかったよ!
新しい仕事を探せばいいだけのことだよ。」

と口々に言ってくれた。

自分は孤独ではないという安心感を感じた。

すると、トニャが何かいいことを思い付いたかのように
ピソの一階で美容室を経営しているミゲルを紹介してくれた。

中に入ると、「オラ!」と
ミゲルがあいさつをしてくれた。

かなり大柄のがっしりした男だった。

バルセロナ近くのタレゴナ出身と言っていた。

太い腕には大胆なタトゥーが入っている。

隣には、奥さんのマルガリータが産まれたばかりの
ヒネブラをあやしていた。

その横では2才になるフリアが落ちている
髪の毛を拾っては投げて遊んでいた。

ミゲルは自分をジッと見つめながら、
近々喫茶店を始めるからその内装を手伝って欲しいと言ってきた。

何という…ラッキーな話だ。

「もちろんやります!」

と即答すると、

ミゲルが大きな手を差し出し、
ガッシリと強い握手を交わした。

「よし、今から行こう!」

とミゲルが言った。

その喫茶店は「ミナス通り」の1番地にあった。

住んでるピソから
歩いても2分ほどの至近距離だった。

その喫茶店は中に入ると結構広かった。

地下もあって、トイレも両方にある。

ミゲルが

「ここの階段を作れるか?」

と訊いてきた。

その階段を見ると、昔、エクステリアの仕事で
作ったことのあるどの階段よりも断然規模が小さく見えた。

「はい、作れます!」

と答えると、

ミゲルは道具のある場所を教えてくれた。

そこには、ノコギリと金槌、木槌
そして、何枚かの厚めの板とセメントが散乱していた。

「自分は美容室に戻るけど、
まぁ、お前のペースでやってくれ」

そう言い残したミゲルは喫茶店から出て行った。

まず、階段を作るために、
木枠が必要なので巻き尺で寸法を測った。

そして、少し錆びていたノコギリで、板を切り始めた。

久しぶりの肉体労働に
体が鈍ってるのを感じたが物を作る作業は実に楽しい。

どんどん自分の集中力が高まってるのがわかる。

ん?

そういえば自分一人だけで仕事をするのは
もしかしてこれが初めてかも知れない。

仕事というと、いつも誰かが近くにいて
どこか見張られながら働いていたような気がする。

この瞬間、
一人で仕事をするとだんだん
遊び感覚になって行くことを知った。

信頼して仕事を任せられると、
独自にあれこれ創意工夫をし始めるのだ。

気がつけば、ミゲルが言っていたように
完全に自分のペースで仕事をしていた。

ガシャ…

扉が開く音がした。

ミゲルだ…

「どんな感じだ、、、……おっ!」

ミゲルは驚いた口調で

「素晴らしいよ!最高だよ!ありがとう!」

と自分が作った階段を見て心から喜んでくれた。

「よし、今日はここまででいいよ。
これが今日働いてくれた分の報酬だよ!」

と言って5000ペセタを手渡した。

「えっ、5000ペセタも?」

というとミゲルが、

「明日もよろしく頼むよ。さすがに仕事が丁寧だよ。」

と言った。

その当時の5000ペセタといえば、
普通のスペイン人に払う金額よりも多い。

日本人に散々騙されていた自分が
初めて会ったスペイン人に助けられたわけだ。

本当に何が起こるかわからない。

自分の人生にとって思い出深い一日となった。

信頼されて仕事を任せられると、
人は一生懸命に心を込めて仕事するのを知った自分は、

その後、集中力の高め方までわかるようになった。

そして「さすがはあの日本人だ。いい仕事するよ!」と噂が噂を呼び、
壁画を描く仕事やタトゥーのデザインなんかも頼まれるようになった。

(何とかこれで生きていけそうだ…)

そう確信はしてたものの、
自分が出来ることは全てやろうとした。

そんな毎日を送る中、
稼いだお金で画材を買いに行った。

「フエンカラル通り」近くにあった「JECO」という画材屋さんだ。

(この画材屋さんとはこれからずっと付き合って行くことになる。)

さて、

油画や版画の作品を制作を部屋でするようになると、
またしても住人たちがいろいろ教えてくれはじめた。

それぞれが、作品を展示できる店やギャラリーの
場所を教えてくれたり、連絡を取ったりしてくれた。

(本当にみんなのおかげで生きられている…)

と心からそう思った。

と同時に、ひとりの無力さも感じたが、
何よりもみんなで助け合って生きる素晴らしさを知った。

そこの住人達は、
いつも自然に誰かのためになろうとしている。

いつしか、自分もここにいるみんなのために
何かしてあげたいと心底思うようになっていた。

そしてやっと、記念すべき第一回目の個展を
ミゲルの喫茶店で開催することになった。

手描きでチラシを作って街の壁の至る所まで貼りに行ったり、
いろんなお店に置かせてもらったりして集客の準備をし始めた。

もちろん、みんなも手伝ってくれた。

もしかしたら、知り合い以外
誰も来ないかも知れない…という不安のまま当日を迎えた。

ところでみなさん、絵が売れるなんて噓みたいでしょ?

自分は売れると夢にも思ってませんでした。

絵が売れるなんてことが現実にあるわけないとまで思っていたんですが、

実際、売れるんです!

スペインの部屋は日本と違って窓の無い部屋が多いんです。

だから窓の代わりに飾る習慣があるんだそうです。

しかも、スペインの部屋の壁といえば
漆喰の白い壁なので絵がものすごく良く映えます。

部屋に絵を飾って、完成する…そんな感じなんです。

その個展では、20点の油絵と版画を展示し、
うち18点が売れました。

手描きのチラシを見てわざわざ来てくれた人が
自分の絵を見て何かを感じて買ってくれたんです。

何ともいえない高揚感…

その中には自分よりも遥かに若い子もいました。

バルで毎日働いたお金で買ってくれたんです。

その子は美術を志している高校生で、
来年、ロンドンの美術大学に進むと言っていました。

その絵をロンドンの自分の部屋に飾るんだ!と言っていました。

そんな想像以上の雰囲気の中で、
第一回目の個展は終了しました。

そして、その後は2ヶ月に一度周期で、
ギャラリーやカフェなどで個展を開催するようになりました。

中でも、
「カフェ・モデルノ」は
一番お世話になった、思い出が多い場所です。

さて、問題がありました。

こんな感じで個展をする度に展示した作品の
ほとんどが売れるようにはなったけど、生活は貧困のまま。

えっ?

なんでって思うでしょ?

自分もそう思いました。

費用対効果のことを全く考えていなかった当時の自分は、
例え材料費を抑えたとしても、一枚に対して時間を掛けすぎていたんです。

当たり前のことなんですが、

売れた瞬間はまとまった収入が入って来ますが、
制作に入ると当然のように収入が途絶えるわけです。

そして、

制作期間が長くなればなるほど
売る回数が減って全体の収入が減る訳ですから、
自分自身が納得のいくまでの制作をしているとドンドン貧乏になっていく。
(製作台数の少ないギター製作家と同じ現象)

だから、次の個展の制作をする傍ら
タトゥーのデザインをしたりして糊口をしのぐ生活が続くんです。

全く先の見えない生活

これはなんとかしないと…

つづく

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